◆各団体 発走順番

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 第18回 国分寺御輿スローガン

 「大隅建国の歴史と共に、担げ!走れ!!そして魅了せよ!!”」

 

 

ぉん、どどぉーん。勇壮そして華麗に巨大な太鼓を打ちならす響きに導かれ観衆が集い、二日目の幕が切って落とされる。

 「わっしょい!わっしょい!」子供たちの元気なかけ声が、沿道の歓声をかき消すような勢いで駆け巡る。炎天下の元、元気いっぱい担いだ充実感の中、子供たちが帰ってくると、二日目もいよいよ本番。

 安全を祈願し、誓いの詞を奉納した後、総勢三千人余りの「元気みこし」「舞鶴御輿」「国分寺御輿」が市街地を突き進む。山見せだ。新市の発展と住民の「恙なき」を祈念しながら、市街地を練り歩く。おいさ!おいさ!のかけ声は歓声と共鳴し街全体を覆いつくす。

 山見せが終わると国分寺御輿競争。しーんとした静寂の中、太鼓の響きが担ぎ手の緊張をかき立てる。巻頭言と共に「やー」の声を腹の底から発する度に静まってゆく。沿道の観客が人垣を作るように前に前にせりだしてくる。競争の開始の合図だ。一番山がその地点に着くと、一分前、三十秒前、いよいよ緊張感が頂点に達する。十秒前、五秒前・・・・・・「ィヤァー」と勇ましいかけ声と共に重さ一トンの御輿がその重さを感じさせない勢いで動き出す。そして煌びやかな飾りの人形が大きく揺れる、揺れる。「おいさ!おいさ!」担ぎ手の心を一つにする大きな競い声がこだまする。前後左右から、勢い水が降りかかり、力を合わせて担ぎ行く。目指すはただ一つ、今年の一番誉れ。ただそれだけの為に力を振り絞り死力を尽くして頂点を目指す。ゴールを終えた担ぎ手の顔が、緊張から感動へと変わってくる。それは観る者にさえ感動を与え、御輿を担ぎきった者達は、何事にも代え難い達成感をその胸に刻む。勝者敗者は無くその達成感が全てである。新市霧島の力でさえ有る。

 
山見せ
まつり2日目、いよいよ山が動き出す。安全祈願祭を終え、夏まつり大会名誉会長の宣言があり、おどま薩州を街に響かせ、山が街へと繰り出します。その様は霧島の力を表すかの如く勇壮で、かつて島津 義久公が九州平定に赴く姿そのものである。
子どもから大人までが街をねり歩き、かき手はその重さを肩で感じ、大人たちは、山見せの後行われる競争に向けて心を燃やしています。
 
国分寺競争
まつり2日目、国分寺御輿のクライマックスは、総重量約1tもある山を担いで150メートル(多少誤差が生じます)を競争する姿である。
かき手の肩にかかる重さと衝撃は想像を絶するものがあり、かき手はランナーズハイに似た、身体の飽和感を味わう。
平成10年より優勝旗が作られ、その争奪に各団体が力を出し尽くすのである。
国分寺御輿の締めは、競争で優勝した団体の代表による三本締めで幕を閉じます。
 
子どもから大人までが御輿を担いで楽しみ、共に成長していき、それと一緒に御輿も成長していきます。将来子ども達が国分寺御輿を担いで街を、地元を担いでいってくれている事でしょう。そんな想いを御輿にのせている夢のあるイベントです。
 
国分寺御輿沿革・誕生
 
 平成6年8月に発足した次年の夏まつりを考える「夏まつり委員会」の調査、研究により企画された国分の御輿は国分のシンボルである「大隅国分寺跡」と、全国にその名を轟かせた「島津 義久公」にちなんで「国分寺御輿」とし、最初の御輿の名を「島津 義久公」の入道号から「龍伯山」と命名した。
 また、「国分寺御輿」の発展と御輿への市民総参加を確立すべく「国分寺神輿会」を発会させ、かき手の募集を広く呼び掛けている。
 霧島国分夏まつり実行委員会が進める霧島国分夏まつりの中の「国分寺御輿」の主旨に国分寺神輿会も賛同し、互いにその盛り上がりに協力し合い、子どもみこしから育てあげ、また広く一般に参加者・国分寺神輿会会員を募り、やがては各地区よりの全参加を計りその地区のまとまり、さらには、我が街「霧島」の発展を祈願する。
子どもみこし
幼稚園・保育園・小学校・少年団・子ども会を対象に手作りみこしを担いで街をねり歩きます。
園児PR・学校PR・少年団PR・各地区のPRや夢を掲げて、山見せの中で子ども達がみこしを担ぎます。このみこしは、子ども達が力を合わせ、協力して創り上げることでチームワークを学び、達成感を喜び感じ合い、そのみこしを当日担いで自分達だけではなく観ている人達にも感動を与え、街を元気にして盛り上げます。
元気みこし
 各小学校が持っている神輿を担いで街をねり歩きます。
 小学校PR・クラブ活動PR・学年、学校の夢・卒業して中学校に行く子ども達の夢や希望を神輿に乗せて、子ども達が山見せで神輿を担ぎます。また、卒業していく子ども達が夏の思い出として、ずっと心に残る事でしょう。
 (小学校で神輿をお持ちでない方は、まず、手作りでみこしを造り、子どもみこしに参加しています。そして、子ども達の熱意が伝わり学校で神輿を用意して元気みこしに参加している学校もあります。また、各地区(公民館・子ども会)が持っている神輿を子どもみこしで担ぎ、後に元気みこしで代々受け継いで担いで行くこともできます。)
舞鶴御輿
 大きい御輿を順番で中学生が担いで街をねり歩きます。
 心も体も成長した自分達を・もっともっと成長していく自分達に、元気みこしとは比べ物にならないぐらいの大きな御輿が立ちはだかっています。1人が力を抜いただけで前に進む事が苦しくなり、今まで以上に統率力・責任感・忍耐が必要とされます。
 各中学校が順番で御輿を担ぎ、子どもみこし・元気みこしの後に舞鶴御輿が続き、後ろから元気な声をだして後輩達にパワーを送ります。
 中学生になると後輩を見守り、先輩達を追い抜きたい闘争心も溢れ出てきます。子どもながらもすごい迫力をだし、皆様を感動させることでしょう。また、自分達もゴールした時の達成感は、計り知れないものになるのは、まちがいないはずです。
(各中学校で順番に担ぎますが参加人数が少なくても、他の学校と調整して担いでいますので1人からでも参加できます)
国分寺御輿
 まず、高校生から大人までが山見せで街をねり歩きます。そのあとにまつりのクライマックスともなる、国分寺御輿競争へと続きます。
 まず初めに、みこしに参加している子ども達のお父さん・先生・監督や高校生・大学生・各企業団体・国分寺神輿会などが協力して市街地が揺れ動くかのような迫力で山見せが始まります。
 子どもみこしから始まり、大きくなっていった大人達が総重量約1tの御輿を担ぎあげ、子ども達や観客が圧倒されている中、地を蹴り・風を切り・街が揺れ動くかの如く声を張りあげ、山を動かします。
 (子ども達のお父さん方は、子ども達に魅せるためにまずは、山見せに個人参加していただいております。その中で子ども達に言葉で伝えられないこと・カッコいい・子ども達が将来この御輿を担ぎたい(地元を担いでいきたい)と感じてもらえる魅力のある山見せになることでしょう)
 御輿を担ぎたい方は、個人参加できますので一緒に山見せで山を動かしましょう。
国分寺競争
 上記で説明してありますが国分寺御輿の最後に競争があります。
 国分寺神輿会を始め、各企業・各地区・スポーツ団体などの団体戦です。
みんなが集合し、一瞬静けさが街に漂う。そこに国分寺御輿の見せ場の1つでもある巻頭言が始まる。巻頭言とは「いざ合戦」の気合い入れである。読み手に呼吸を合わせて取り囲む担ぎ手のかけ声は、霧島に響渡らんかの如くであり、これが正に霧島の民の持つ力である。
巻頭言により、かき手の気持ちは過酷な競争への、我を忘れんばかりの闘争心へと変わる。
競争では、服装も締め込み・法被に地下足袋・鉢巻きと御輿を担ぐ時にもっとも安全な伝統ある格好である。
 担ぐ人数は、28人・台上り2人・端取り4人・押隊は、不定数で行われます。
 御輿は、横から見て、進行方向から後方に向かってなだらかな斜面になるように、担ぎ手の身長と肩の高さを考慮して配置します。
 担ぎ棒に担き縄を結ぶことなくねじって固定して担ぎ手28名は、全員持つことが鉄則である。担ぎ棒と肩を密着させるように担き縄を引きつけ、引きつけが甘いと則頭部と棒の衝突を起こす原因となる。また、担き縄は、命綱でもあり、しっかりと引きつけて離さずにいれば転倒したり御輿に巻き込まれたりすることは、絶対にない。
 台上りは、前1人・後1人で御輿をしっかり観て、上から声かけをします。気合いをいれるのは勿論の事、安全面をしっかり上から指揮をとる重要なポジションです。
 端取りは、前2人・後2人で前二人は、前の台上りと連携をとり、御輿を一直線に走らせる役割をします。後ろ2人は、後ろの台上りと連携をとり、押隊のバランスと後列担ぎ手の様子に目を配り、御輿を正しい方向に導く役割を果たす。
 押隊は、棒端の金輪に手をあて、押し上げるように走る。この押しが弱いと御輿は奔らず、バランスがとれなくなり蛇行の原因になる。
 30名以上の仲間が1つになり、信頼しあい・団結力を魅せる競争になる事でしょう。
夏まつり最後の迫力ある競争は見逃せない。観客も競争している人達も力を出し尽くし、心に残る国分寺御輿になり、クライマックスを飾ります。

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